こんにちは
ブログを読んでくださってありがとうございます。
今日のテーマは「多くの御札や御守を持つ」です。
わたしはつらい時期にたくさんの御利益を授かりたくて
色々なパワースポットを巡り、御札や御守を授かってきました。
それを続けて数年間、果たして本当にそれで御利益を授かることができたのかを
振り返っていきます。
沢山の御札や御守を持つこと
辛い時、どうにもならない時、わたしは神仏様にすがってきました。
これ自体は特に問題はないのですが、そのすがる数が多すぎることは間違いだったと自戒します。
多くの現世の御利益を期待して、多くの神仏様を神棚などでお祀りすることも、
やり過ぎると逆効果になる可能性があります。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
多くの御利益を授かりたいから、色々な寺社仏閣に参拝します。
その際に「せっかくパワースポットに来たのだから、神様・仏様とのご縁を深めよう」と思い、
そこで多くの御札や御守を授かります。
これはその時は神仏様と繋がれたと良い気分になるのですが、
その繋がりを大事に保ち続けるとなると、それなりの努力が必要になります。
まず、金銭的な負担。
多くの御札を授けていただいて、それを毎年買い換えなければいけません。
御札・御守1体あたりだいたい1,000円~1,500円します。
それが10体、20体・・・と増えていくと大きな負担になります。
また、それを授かりに行くための旅費や送ってもらうための郵送料も軽視できません。
次に、労力の負担。
神仏様は清浄な場所で祀ることが大切なので、
ホコリを払う等の掃除をします。
でも、御札の数が多すぎて重ねてあったりすると、
それを一枚一枚ホコリをはらうだけでも大変です。
本当はこまめに神棚の掃除はした方がよいのですが、
沢山の御札を拭き祓うとなると億劫になってしまいます。
そして、これは御守も同じです。
毎日ではなくとも、定期的にささっとホコリを振り払ったり、
太陽の日に浴びせるなどすると良いのですが、
御守の数が多くなりすぎると大変になります。
信仰の数は安易に増やすと後々金銭や労力の負担が大きくなり、
「面倒くさい」「煩わしい」という負の感情が大きくなってきます。
そのような心持ちで神仏様との繋がりを深めることができるのか疑問です。
御利益を求めすぎない
多くの御利益や神仏様とのご縁を求めて御札や御守を持ちすぎるが故に、
それらを粗末にして神仏様との向き合い方が粗末になってしまう。
これは本末転倒です。
多くの厄災が降りかかっている時は、藁にもすがる思いでありますが、
それでも色々な神仏に御利益を求めすぎないことにしました。
苦しい状況を打開するのは自分しかできません。
神仏様はその頑張る自分のサポートをしていただくことしかできませんので、
神仏様に依存しきった「神仏依存、神仏本願」の姿勢は改まり、
御利益を求めすぎなくなりました。
信仰する神仏様の数を絞る
多くの神仏様に助けを求めるばかり、
あちらこちらの寺社仏閣への参拝、そして、そこでの御札・御守の授与。
正直、多くのものに手を広げすぎましたので、自分が信仰する神仏様の数を絞りました。
その際に大事にしたことは「信仰したい」ではなく「信仰できるか」でした。
信仰には、神仏様からおかげをいただくためご縁を大切にする覚悟と責任が伴います。
自分が責任を持てるだけの神仏様の数に限定しました。
信仰の中心となる神仏様を決める
神仏様の数を絞り、その中でも自分が信仰の中心となる
軸としての神仏様を決めました。
そして、その中心となる神仏様と、それ以外にお力添えをいただく神仏様も信仰します。
このように自分は多くの神仏様からの御利益を欲張りすぎたので、
その反省をして今は大分数を減らして信仰をするようにしています。